ブルキナファソでは、自動車はまだまだぜいたく品。庶民の間では、やっと、インドネシア製や中国製の原付バイクが普及し始めてきたところです。村々の移動手段の多くは「徒歩」と「自転車」
この自転車。最近は日本の中古自転車がガーナから輸入されるようになってきましたが、新品は中国製のものが大多数。私も買いましたが、サドルは壊れる、ペダルははずれる、車体はゆがむ・・・と、結構さんざんな目にあい、最終的には日本製の中古自転車を買いました。
ところで、いつもとっても感心するのが、子どもが自転車に乗っている姿です。足もつかないのに大人用の自転車を器用に乗りこなす様は、なかなかのバランス感覚です。
どんなのかというと・・・
この男の子は少々大きいですが、もっと小さな子も乗っていてびっくりします。日本だと「危ない」と止められるでしょうね。車が少ないから可能なのかもしれません。
本人曰く「危ないから、自転車に乗るときには靴を脱ぐんだ」そうです。
お父さん曰く「子供用の自転車を奮発して買ってあげたのに、全く乗らない」のだそう。
大人のまねをしたい年頃なんですね~
でも、危ないから「よい子」のみなさんはまねしないでね。
2010年11月4日木曜日
雨季
7月-8月の渡航、そして9月-10月の渡航、どちらも雨季でした。
雨季は緑が濃くなって、なんだか土地が生き生きしているようです。畑もなんだか元気です。
私たちが活動しているバンフォラ市は、サトウキビのプランテーションがあります。そこもあおあお~
象さんも思わずふらふら~
いえいえ、象さんはめずらしいのです。アフリカでも西アフリカは、野生の大型動物は少ないのですが、かばと象は、たまに見ることができます。(ちなみに 、バンフォラ市近くでは、30頭くらいの群れが移動していて、問題となっていました。象さん、近づくとキケンなのです。)
知っていたけど、雨季に見るたびにどうしても考え込んでしまうのはこの光景・・・
ちらちらと見えている黒や白の物体。ビニール袋です。元々は・・・
そう、ゴミ捨て場。雨季には畑になります。
なんとなく、ごみを捨てる場所が決まっていて、雨季にはそこが畑になります。家庭ごみのほとんどが残飯や砂・土だからでしょうか。とはいえ、ごみにどんな化学物質(農薬などなど)が含まれているかわからないし、ビニール袋は根の成長を邪魔するし、見るたびに考え込んでしまうのです。ところが、みんな口を揃えて「ゴミ捨て場の下のほうの土はとても肥沃だ」と言います。いえ、そうかもしれませんが・・・
雨季にとっても困ること。それは道に大きな大きな水溜りができること。舗装道路がとても少ないので、町は至るところ、こんな感じです。
これは、まだまだましなほう。道を覆いつくすほどの水溜りがあちらこちらに出現します。
郊外の村に行くときには、これは深刻で、実際、今回は多くの村に行けませんでした。つまり、奥にある村は、雨季には車でのアクセスが不可能になります。
ア・ダンセでは、指定林と呼ばれる国有林周辺の村々の住民森林管理グループ(Groupement de gestion forestière:GGF)が作るシアバターを使っています。現在、十数か所の村を回っていますが、そのうちのいくつかの村がアクセス不可能でした。
もちろん、四駆のでっかい車で行かなければならず、乾季でも遊園地の乗り物状態です。
このときも四駆で村周りしましたが、アクセス可能な村の道でもこんな感じです
動画でどうぞ
密林ではありませんが、結構ハードです。
一番遠い村までは、バンフォラ市からでも3時間かかります。帰ってくると、あまり動いていないのに、へとへとです。か弱き日本人であることを感じます・・・
雨季は緑が濃くなって、なんだか土地が生き生きしているようです。畑もなんだか元気です。
私たちが活動しているバンフォラ市は、サトウキビのプランテーションがあります。そこもあおあお~
象さんも思わずふらふら~
道を横切った直後の象さん。 |
知っていたけど、雨季に見るたびにどうしても考え込んでしまうのはこの光景・・・
畑です。 |
そう、ゴミ捨て場。雨季には畑になります。
なんとなく、ごみを捨てる場所が決まっていて、雨季にはそこが畑になります。家庭ごみのほとんどが残飯や砂・土だからでしょうか。とはいえ、ごみにどんな化学物質(農薬などなど)が含まれているかわからないし、ビニール袋は根の成長を邪魔するし、見るたびに考え込んでしまうのです。ところが、みんな口を揃えて「ゴミ捨て場の下のほうの土はとても肥沃だ」と言います。いえ、そうかもしれませんが・・・
雨季にとっても困ること。それは道に大きな大きな水溜りができること。舗装道路がとても少ないので、町は至るところ、こんな感じです。
これは、まだまだましなほう。道を覆いつくすほどの水溜りがあちらこちらに出現します。
郊外の村に行くときには、これは深刻で、実際、今回は多くの村に行けませんでした。つまり、奥にある村は、雨季には車でのアクセスが不可能になります。
ア・ダンセでは、指定林と呼ばれる国有林周辺の村々の住民森林管理グループ(Groupement de gestion forestière:GGF)が作るシアバターを使っています。現在、十数か所の村を回っていますが、そのうちのいくつかの村がアクセス不可能でした。
もちろん、四駆のでっかい車で行かなければならず、乾季でも遊園地の乗り物状態です。
このときも四駆で村周りしましたが、アクセス可能な村の道でもこんな感じです
動画でどうぞ
密林ではありませんが、結構ハードです。
一番遠い村までは、バンフォラ市からでも3時間かかります。帰ってくると、あまり動いていないのに、へとへとです。か弱き日本人であることを感じます・・・
2010年11月3日水曜日
心よりご冥福をお祈りします。
なんだか、再開してすぐのブログで悲しいニュースなのですが・・・
最近、友人のお父様がお亡くなりになりました。私も父を数年前に亡くしたので、心が痛くなるほど、共感してしまいます。
そして、今年は私にとってとても大切な存在であったブルキナファソのおじいちゃんが二人、亡くなりました。
ひとりは、私の起業までを支え続けてくれたおじいちゃん。8月に亡くなりました。ちょうど亡くなる1-2週間前にご挨拶しにいったとき、大分体調が悪そうだったので心配していたのですが・・・私の帰国日直前のことで、お葬式に参列できなかったので、今回の渡航でご家族を訪問してきました。いつも「わたしの娘よ・・・」と呼びかけてくれる、やさしいおじいちゃんでした。
もうひとり、私が敬愛してやまない、そして、とても可愛がっていただいた伝統音楽の大御所でバラフォン奏者、マハマ・コナテさんです。愛称はママ。10月5日に亡くなりました。なんだか、不思議なご縁を感じる出会いをしたこともあり、私にとって、とてもとても特別な方でした。
ママ・コナテはFarafina(Farafina Lili)という伝統音楽 グループを創設した方で、このグループは坂本龍一さんやジョン・ハッセル、ローリングストーンズなどのアルバムにも参加した伝説的存在となっています。来日公演もありました。今でもCDを買うことができますが、彼がかかわったグループのCD(日本で入手できる可能性のあるもの)はBolomakoteとMiriyaのみ。他のものは、同じ名前の別グループとなります。ママがとってもこだわっていたので、念のため。これについては色々なストーリーがあるのですが、また、機会があれば・・・
mamaのグループ、Farafina Liliの演奏ビデオ 1
mamaのグループ、Farfina Liliの演奏ビデオ 2
向かって右のバラフォンを演奏しているのが、ママです。
私が出会ったときには既に引退されていましたが、彼の演奏は、町のどこにいても、彼が演奏していることがわかるくらいだったとか。左手がとても強かったのだそうです。でも彼が一番すごいのは、「伝統は新しく作り続けるものである」と、Farafina音楽学校を作り、多くの若者たちを育て、自らも伝統的なスタイルを守りつつ創作・演奏活動を行っていたこと。ア・ダンセの石鹸を作ってもらっているセンターの開所式の際、日本大使も来られるということで、思い切ってFarafina Liliを招聘しました。
そして、ママにも来て貰えるかどうかを打診。すると、持病のため、あまり遠くには出かけないと聞いていたのですが、なんと返事はOUI!90km離れたバンフォラ市まで来てくださったのでした。ずっと、にこにこと見守って下さっていて、とってもうれしかったのです。それはそれは特別な機会となりました。
10月5日、亡くなった日、どうも近所のミュージシャンもどきくんたちが、ファラフィナの曲を演奏しているなぁ、と思っていたのです。これは、ママのための演奏だったのですね。
ローカルTVを見ることができない環境にいた私は、しばらくママが亡くなったことを知らなくて、亡くなった翌日のニュースを見た友人がその翌日、つまり7日の夕方に「今日、埋葬だよ」と教えてくれました。既に夕方だったので、その日は行けず、8日の朝一番に向かいました。
終わっていたはずの埋葬ですが、なんと、到着したのは埋葬式の真っ最中。まるでママが待っていてくれたみたいでした。こちらでは、偉大な人はお庭に埋葬され、おうちよりも立派なお墓が建てられることがあります。ママもそのようです。祭壇はキリスト教式。私が少し驚いていると、一緒に行った友人が「ママくらいに偉大なミュージシャンは、宗教を飛び越えた存在で、何教でもいいんじゃないだろうか」と言われ、なんとなく納得しました。
まず、ご家族にご挨拶をしたのですが、ママのことを話しはじめた途端号泣してしまい、周りのグリオ(伝統的に祭祀の際などに歌や踊りを披露するグループ)のおばちゃんたちに「ママはちょっとアメリカに行ってるだけだよ」などと、歌でなぐさめ(?)られ、 家の前で繰り広げられている音楽を聴きつつ、席に座りました。あちらこちらで知っている人たちと出会い、挨拶をかわします。よく見ていると亡くなって数日たつにもかかわらず、テレビ局が取材しています。また、外国のテレビ局も来ていた様子です。グリオたちもママをたたえる歌を歌い続けています。
ママが亡くなってからというもの、ずっと音楽を演奏し続けているようで、音楽が鳴り止むことはありません。また、お酒が大好きだったママのお葬式。もちろん、ドロまたはチャパロと呼ばれる地酒も振舞われています。音楽は、各民族のグループが交代でまたはミックスして演奏しているようでした。ブルキナの多くの伝統音楽ミュージシャンが集まっていました。
今年2月にママの偉業を称える大きなイベントが開催されたときも、大勢のお客さんが来るにもかかわらず、ずっと私を隣に座らせてくれ、色々とお話してくれたのですが、そのとき繰り返して言われたのが「踊らないの?」。ママを称えるイベントには音楽がつきもの。もちろん、バラフォンと太鼓が鳴り響き、がんがん踊っています。でも、どうもプロの踊り手さんたちだったので、私は見て楽しんでいたので、その旨を伝えました。
その「踊らないの?」「踊ってきたら?」という言葉が忘れられなくて。やっぱり、生粋のアフリカン・ミュージシャンですよね。お葬式では、その言葉を思い出し、2,3曲、みんなと一緒に踊ってきました。ママのことを想いながら・・・
その夜、ママのために普段はほとんど飲まないギネスビールの小瓶を注文して、ママに捧げました。ママが大好きでいつも飲んでいたのです。
ママ。たくさんの贈り物をありがとう。ギネス、たまに飲むようにします。そのときは、一緒に愉しんでください。ブルキナファソでは伝統音楽でたくさん踊ります。そのときは、音楽と一緒にそばにいて愉しんでください。(これって私のわがまま?)
ママにもらった有形無形の大切な大切なものたち。いろんな人たちに伝えたいと思います。
最近、友人のお父様がお亡くなりになりました。私も父を数年前に亡くしたので、心が痛くなるほど、共感してしまいます。
そして、今年は私にとってとても大切な存在であったブルキナファソのおじいちゃんが二人、亡くなりました。
ひとりは、私の起業までを支え続けてくれたおじいちゃん。8月に亡くなりました。ちょうど亡くなる1-2週間前にご挨拶しにいったとき、大分体調が悪そうだったので心配していたのですが・・・私の帰国日直前のことで、お葬式に参列できなかったので、今回の渡航でご家族を訪問してきました。いつも「わたしの娘よ・・・」と呼びかけてくれる、やさしいおじいちゃんでした。
もうひとり、私が敬愛してやまない、そして、とても可愛がっていただいた伝統音楽の大御所でバラフォン奏者、マハマ・コナテさんです。愛称はママ。10月5日に亡くなりました。なんだか、不思議なご縁を感じる出会いをしたこともあり、私にとって、とてもとても特別な方でした。
ママ・コナテはFarafina(Farafina Lili)という伝統音楽 グループを創設した方で、このグループは坂本龍一さんやジョン・ハッセル、ローリングストーンズなどのアルバムにも参加した伝説的存在となっています。来日公演もありました。今でもCDを買うことができますが、彼がかかわったグループのCD(日本で入手できる可能性のあるもの)はBolomakoteとMiriyaのみ。他のものは、同じ名前の別グループとなります。ママがとってもこだわっていたので、念のため。これについては色々なストーリーがあるのですが、また、機会があれば・・・
mamaのグループ、Farafina Liliの演奏ビデオ 1
mamaのグループ、Farfina Liliの演奏ビデオ 2
向かって右のバラフォンを演奏しているのが、ママです。
私が出会ったときには既に引退されていましたが、彼の演奏は、町のどこにいても、彼が演奏していることがわかるくらいだったとか。左手がとても強かったのだそうです。でも彼が一番すごいのは、「伝統は新しく作り続けるものである」と、Farafina音楽学校を作り、多くの若者たちを育て、自らも伝統的なスタイルを守りつつ創作・演奏活動を行っていたこと。ア・ダンセの石鹸を作ってもらっているセンターの開所式の際、日本大使も来られるということで、思い切ってFarafina Liliを招聘しました。
そして、ママにも来て貰えるかどうかを打診。すると、持病のため、あまり遠くには出かけないと聞いていたのですが、なんと返事はOUI!90km離れたバンフォラ市まで来てくださったのでした。ずっと、にこにこと見守って下さっていて、とってもうれしかったのです。それはそれは特別な機会となりました。
10月5日、亡くなった日、どうも近所のミュージシャンもどきくんたちが、ファラフィナの曲を演奏しているなぁ、と思っていたのです。これは、ママのための演奏だったのですね。
ローカルTVを見ることができない環境にいた私は、しばらくママが亡くなったことを知らなくて、亡くなった翌日のニュースを見た友人がその翌日、つまり7日の夕方に「今日、埋葬だよ」と教えてくれました。既に夕方だったので、その日は行けず、8日の朝一番に向かいました。
終わっていたはずの埋葬ですが、なんと、到着したのは埋葬式の真っ最中。まるでママが待っていてくれたみたいでした。こちらでは、偉大な人はお庭に埋葬され、おうちよりも立派なお墓が建てられることがあります。ママもそのようです。祭壇はキリスト教式。私が少し驚いていると、一緒に行った友人が「ママくらいに偉大なミュージシャンは、宗教を飛び越えた存在で、何教でもいいんじゃないだろうか」と言われ、なんとなく納得しました。
まず、ご家族にご挨拶をしたのですが、ママのことを話しはじめた途端号泣してしまい、周りのグリオ(伝統的に祭祀の際などに歌や踊りを披露するグループ)のおばちゃんたちに「ママはちょっとアメリカに行ってるだけだよ」などと、歌でなぐさめ(?)られ、 家の前で繰り広げられている音楽を聴きつつ、席に座りました。あちらこちらで知っている人たちと出会い、挨拶をかわします。よく見ていると亡くなって数日たつにもかかわらず、テレビ局が取材しています。また、外国のテレビ局も来ていた様子です。グリオたちもママをたたえる歌を歌い続けています。
ママが亡くなってからというもの、ずっと音楽を演奏し続けているようで、音楽が鳴り止むことはありません。また、お酒が大好きだったママのお葬式。もちろん、ドロまたはチャパロと呼ばれる地酒も振舞われています。音楽は、各民族のグループが交代でまたはミックスして演奏しているようでした。ブルキナの多くの伝統音楽ミュージシャンが集まっていました。
今年2月にママの偉業を称える大きなイベントが開催されたときも、大勢のお客さんが来るにもかかわらず、ずっと私を隣に座らせてくれ、色々とお話してくれたのですが、そのとき繰り返して言われたのが「踊らないの?」。ママを称えるイベントには音楽がつきもの。もちろん、バラフォンと太鼓が鳴り響き、がんがん踊っています。でも、どうもプロの踊り手さんたちだったので、私は見て楽しんでいたので、その旨を伝えました。
その「踊らないの?」「踊ってきたら?」という言葉が忘れられなくて。やっぱり、生粋のアフリカン・ミュージシャンですよね。お葬式では、その言葉を思い出し、2,3曲、みんなと一緒に踊ってきました。ママのことを想いながら・・・
その夜、ママのために普段はほとんど飲まないギネスビールの小瓶を注文して、ママに捧げました。ママが大好きでいつも飲んでいたのです。
ママ。たくさんの贈り物をありがとう。ギネス、たまに飲むようにします。そのときは、一緒に愉しんでください。ブルキナファソでは伝統音楽でたくさん踊ります。そのときは、音楽と一緒にそばにいて愉しんでください。(これって私のわがまま?)
ママの家の前で踊る人たち |
2010年11月2日火曜日
やっぱり・・・ご無沙汰しています。
ああ、やっぱりご無沙汰してしまったブログ。本当にごめんなさい。
前回のブログは・・・なんと7月!!!だめだめですね、私。
7月のブルキナへの渡航は7月から8月。シアバターの実の買い付けと、ビデオレターの撮影等々でした。
その後、帰国してなんやかやと動いているうちに、9月に再渡航。10月に帰国したばかりです。この渡航、実は今年初のファースト・シアバターを作りに行ったのですが、雨季が終わらず、結局私の滞在中にはできませんでした。気候変動の影響なのか、毎年の変動の範囲内なのか、はっきりとはわかりませんが、異常に長い雨季でした。ア・ダンセのシアバターは村での完全手作り。機械はほとんど入っていません。お日様が出ないとできないのです。お日様がなくても、シアのアーモンド部分を直火で炒ったりすると、できなくもない(実際、多くの団体が行っていると思います)のですが、品質に影響してきます。ア・ダンセのシアバターはお日様のちからで作っている分、非常に手間はかかるのですが、やさしいシアバターになっています。
で、今回は泣く泣く帰国しました。で、何をしていたかというと、現地向けのシアバター石鹸のパッケージ開発とあるプロジェクト準備です。このプロジェクトについては、おいおいご報告を。でも、仏語で協定書を作成するなど、私の人生でお初の出来事が多くて、机に向かってるか、走り回っている状態で、相変わらず、ばたばたと1ヶ月が過ぎました。
前々回、そして前回のブルキナ渡航、その間の日本滞在期間中にあったことなどを、しばらく、しっかりと書いていきたいと思います。
前回のブログは・・・なんと7月!!!だめだめですね、私。
7月のブルキナへの渡航は7月から8月。シアバターの実の買い付けと、ビデオレターの撮影等々でした。
その後、帰国してなんやかやと動いているうちに、9月に再渡航。10月に帰国したばかりです。この渡航、実は今年初のファースト・シアバターを作りに行ったのですが、雨季が終わらず、結局私の滞在中にはできませんでした。気候変動の影響なのか、毎年の変動の範囲内なのか、はっきりとはわかりませんが、異常に長い雨季でした。ア・ダンセのシアバターは村での完全手作り。機械はほとんど入っていません。お日様が出ないとできないのです。お日様がなくても、シアのアーモンド部分を直火で炒ったりすると、できなくもない(実際、多くの団体が行っていると思います)のですが、品質に影響してきます。ア・ダンセのシアバターはお日様のちからで作っている分、非常に手間はかかるのですが、やさしいシアバターになっています。
で、今回は泣く泣く帰国しました。で、何をしていたかというと、現地向けのシアバター石鹸のパッケージ開発とあるプロジェクト準備です。このプロジェクトについては、おいおいご報告を。でも、仏語で協定書を作成するなど、私の人生でお初の出来事が多くて、机に向かってるか、走り回っている状態で、相変わらず、ばたばたと1ヶ月が過ぎました。
前々回、そして前回のブルキナ渡航、その間の日本滞在期間中にあったことなどを、しばらく、しっかりと書いていきたいと思います。
2010年7月24日土曜日
ブルキナファソからブログを再開します!
前回のブルキナファソ出張から、はや3ヶ月。再びブルキナファソに来ています。ブログを見てくださっている皆様。長らくのご無沙汰、本当にごめんなさい。
日本に滞在中は、ブルキナで作った石鹸やバスケットの輸入手続きの様々なトラブルから始まって、石鹸の仕上げ工程の困難さなどにぶつかり、WEBサイトの構築等々も重なり、嵐のような日々を過ごしていました。ご無理をお願いした関係者の皆様。本当にありがとうございました。
で、いろんなことをいろんな方々にしっかり引き継ぎ、やってきました。ブルキナファソ。雨季です。ネットが繋がりにくいです。
パリの空港では、ホテルのシャトルの停車場所が変更になっていて、1時間近く待ったりと、いくつかトラブルはありましたが、一昨日の夜、なんとか無事に到着しました。
シャルルドゴール空港近くでお泊りのみなさーん。ホテルのシャトルバスは、ターミナル2では電車の駅付近のエレベーターで5Fまで上がったところにしか止まりませんから気をつけてくださいね!!!以前のように各ターミナルを巡回しませんよ~
昨日午前中は杉浦大使にご挨拶。友人のバイクで大使館に向う途中、雨上がりの水溜りの泥水を全身に浴びつつ、荷物だけはしっかりガードし、やっと石鹸をお渡しできました。せっかく大使にお会いするのでキレイ目な格好で行ったのに・・・でも、大使館の皆さんとも久しぶりにゆっくりお話しできて、ほっと一息。
お昼からは、大使から伺った農業関係の展示会に足を運んだのですが、昨日で終わったと言われてしまい、ふと思いつき、そのまま書店へ。村での参加型開発(参加型教育?)のマニュアルっぽい本と、大使が話されていたブルキナの薬草についての本を見つけて購入。続いて、いつものセレクトショップのような工芸品などを扱うブティックに行き、観察。なるほど。各女性グループ、石鹸やかばんなど、とっても工夫が見られるようになってきました。私たちもがんばんなきゃ。
で、本日。私たちのメインの活動地、バンフォラに向かいます。もちろん、ア・ダンセのパートナー「Centre RAKIETA」ディレクターが社長を務めるRAKIETAのバスで移動です。途中、一回の乗り換えがあり、大体7時間くらいです。途中のトイレは戸がない!!!ということで、水分をなるべく抑えていかないと。なんだかとっても涼しいので、汗をかかないんですよね。冷房も効いているかもしれないんですよ、RAKIETA。お昼も、この季節は思いつきでその辺のものを食べると、大変なことになりますしね。
すっかり忘れていたのですが、世の中、バカンスシーズン。ここブルキナも例外ではありません。バンフォラはブルキナでは数少ない観光地。バカンスシーズンはあちらこちらのホテルが満室になります。このシーズンど真ん中に滞在するのは2003年から2005年にかけて協力隊で住んでいたとき以外では初めてです。普段は空き室だらけのなので、なあんにも考えていませんでしたが、バンフォラでの宿泊がピンチです。とりあえず、一泊は確保したものの、その後はまだ決まっていません。私のバンフォラ人生中、初めての長期ホームステイの可能性も出てきそうです。移動手段が「徒歩」の私は、中心部からあまり離れたところには泊まれません。タクシーはバス乗り場付近にしか止まってないし。
でも、なんとかなるのがブルキナ。なんとかしましょう!いざ、バンフォラへ!!!
日本に滞在中は、ブルキナで作った石鹸やバスケットの輸入手続きの様々なトラブルから始まって、石鹸の仕上げ工程の困難さなどにぶつかり、WEBサイトの構築等々も重なり、嵐のような日々を過ごしていました。ご無理をお願いした関係者の皆様。本当にありがとうございました。
で、いろんなことをいろんな方々にしっかり引き継ぎ、やってきました。ブルキナファソ。雨季です。ネットが繋がりにくいです。
パリの空港では、ホテルのシャトルの停車場所が変更になっていて、1時間近く待ったりと、いくつかトラブルはありましたが、一昨日の夜、なんとか無事に到着しました。
シャルルドゴール空港近くでお泊りのみなさーん。ホテルのシャトルバスは、ターミナル2では電車の駅付近のエレベーターで5Fまで上がったところにしか止まりませんから気をつけてくださいね!!!以前のように各ターミナルを巡回しませんよ~
昨日午前中は杉浦大使にご挨拶。友人のバイクで大使館に向う途中、雨上がりの水溜りの泥水を全身に浴びつつ、荷物だけはしっかりガードし、やっと石鹸をお渡しできました。せっかく大使にお会いするのでキレイ目な格好で行ったのに・・・でも、大使館の皆さんとも久しぶりにゆっくりお話しできて、ほっと一息。
お昼からは、大使から伺った農業関係の展示会に足を運んだのですが、昨日で終わったと言われてしまい、ふと思いつき、そのまま書店へ。村での参加型開発(参加型教育?)のマニュアルっぽい本と、大使が話されていたブルキナの薬草についての本を見つけて購入。続いて、いつものセレクトショップのような工芸品などを扱うブティックに行き、観察。なるほど。各女性グループ、石鹸やかばんなど、とっても工夫が見られるようになってきました。私たちもがんばんなきゃ。
で、本日。私たちのメインの活動地、バンフォラに向かいます。もちろん、ア・ダンセのパートナー「Centre RAKIETA」ディレクターが社長を務めるRAKIETAのバスで移動です。途中、一回の乗り換えがあり、大体7時間くらいです。途中のトイレは戸がない!!!ということで、水分をなるべく抑えていかないと。なんだかとっても涼しいので、汗をかかないんですよね。冷房も効いているかもしれないんですよ、RAKIETA。お昼も、この季節は思いつきでその辺のものを食べると、大変なことになりますしね。
すっかり忘れていたのですが、世の中、バカンスシーズン。ここブルキナも例外ではありません。バンフォラはブルキナでは数少ない観光地。バカンスシーズンはあちらこちらのホテルが満室になります。このシーズンど真ん中に滞在するのは2003年から2005年にかけて協力隊で住んでいたとき以外では初めてです。普段は空き室だらけのなので、なあんにも考えていませんでしたが、バンフォラでの宿泊がピンチです。とりあえず、一泊は確保したものの、その後はまだ決まっていません。私のバンフォラ人生中、初めての長期ホームステイの可能性も出てきそうです。移動手段が「徒歩」の私は、中心部からあまり離れたところには泊まれません。タクシーはバス乗り場付近にしか止まってないし。
でも、なんとかなるのがブルキナ。なんとかしましょう!いざ、バンフォラへ!!!
2010年1月27日水曜日
実は・・・
はい、相変わらずご無沙汰しております。
実は、ブルキナファソに渡航しています。
なんだか、嵐のような渡航前でした・・・
そしてこちらに着いてからも、ばたばた・・・
自分で言うのもなんですが、ジェットコースターみたい。
でも、国自体がのんびりモードなので、私ものんびり、な気分。
で、風邪をひきました。
連日、日中気温35度以上、超乾燥、大量砂埃・・・
暑くても風邪はひくもんですね。でも、ぼーっとする頭で鼻をすすりながら、埃と照りつける日光の中を歩くのは、なかなか大変です。改めて、なかなかハードかも、と気付きました。
こちらに来ると、喉が痛くなり、おなかを壊す以外は、すごく元気なんですけれど。(それは元気と言わない???)
実は今は1年で最も過ごしやすいと言われている涼しい時期。夜、外でビールなんか飲んだ日には、とても寒く感じます。
3月からは徐々に始まる酷暑が控えてるというのに・・・大丈夫か、わたし!!!
そんな厳しい感じのするブルキナですが、灼熱の中で歩き回るせいか、新陳代謝がよくなるのか、いくら食べても飲んでも太らない!油と塩たっぷりのごはんを毎日食べても大丈夫!500mlのコーラを一日3本飲んでも大丈夫!って身体に悪いので、そんなことはしません。慣れてくると太るようになるし。体重を落とすと、体力も落とすので、現状維持・・・いや、ちょっと痩せよう、この機会に。ぶつぶつ・・・
ブルキナでの活動は
http://mission-burkina.seesaa.net/
で ご報告しまーす。
ネットの状況が思ったよりも悪くて、なかなか繋がらないことが多いア・ダンセ石鹸プロジェクトの活動地バンフォラ。ああ、やっぱり。
それでも、なんとか、日々の活動をご報告したいと思います。
実は、ブルキナファソに渡航しています。
なんだか、嵐のような渡航前でした・・・
そしてこちらに着いてからも、ばたばた・・・
自分で言うのもなんですが、ジェットコースターみたい。
でも、国自体がのんびりモードなので、私ものんびり、な気分。
で、風邪をひきました。
連日、日中気温35度以上、超乾燥、大量砂埃・・・
(通りすがりの首都の道路の様子)
暑くても風邪はひくもんですね。でも、ぼーっとする頭で鼻をすすりながら、埃と照りつける日光の中を歩くのは、なかなか大変です。改めて、なかなかハードかも、と気付きました。
こちらに来ると、喉が痛くなり、おなかを壊す以外は、すごく元気なんですけれど。(それは元気と言わない???)
実は今は1年で最も過ごしやすいと言われている涼しい時期。夜、外でビールなんか飲んだ日には、とても寒く感じます。
3月からは徐々に始まる酷暑が控えてるというのに・・・大丈夫か、わたし!!!
そんな厳しい感じのするブルキナですが、灼熱の中で歩き回るせいか、新陳代謝がよくなるのか、いくら食べても飲んでも太らない!油と塩たっぷりのごはんを毎日食べても大丈夫!500mlのコーラを一日3本飲んでも大丈夫!って身体に悪いので、そんなことはしません。慣れてくると太るようになるし。体重を落とすと、体力も落とすので、現状維持・・・いや、ちょっと痩せよう、この機会に。ぶつぶつ・・・
ブルキナでの活動は
http://mission-burkina.seesaa.net/
で ご報告しまーす。
ネットの状況が思ったよりも悪くて、なかなか繋がらないことが多いア・ダンセ石鹸プロジェクトの活動地バンフォラ。ああ、やっぱり。
それでも、なんとか、日々の活動をご報告したいと思います。
2010年1月8日金曜日
年明けのア・ダンセ
このところ、渡航の準備を急ピッチで実施中。
一度決定しかけたパッケージの大幅な変更、現地で行う研修の打ち合わせとこまごまとした準備、シアバターやDooniDooni買い付けの手配、不在の間の様々なお仕事の手配などなど。現地とのやりとりも多くて、睡眠時間が超不規則です。
ちなみに今の季節、ブルキナファソでは普段でも長い挨拶がさらに長くなります。新年の挨拶はたっぷり2分以上かかります。本人やその人の家族メンバーに対して、健康でお金が入ってきて、輝かしい年となるようにと、ひとつひとつ数え上げるように祈るのです。言霊という言葉を思い出しながら、想いを込めて、相手に今年の幸せへの祈りを伝えています。
今回の渡航では、研修を実施していただく丸菱石鹸の社長さんだけではなく、所属研究室の元同僚(教育専門)や、関西学院大学社会起業学科GPの先生方も来られるので、そんな手配も実施中。すっかりブルキナ慣れしている私は、皆さんの「初アフリカ初ブルキナ」を実りあるものにするため、普段は忘れている初心を思い出しつつ、準備を進めています。
そんなア・ダンセの日常ですが、昨年12月から少しずつ新しい出会いがあり、ワクワクしています。環境ビジネスウィメンの方々を含め、そのほとんどが女性で、改めて日本の女性の活躍に感動してしまいます。私も日々の努力と成長を重ねてゆこう、と思いを新たにする毎日。
最近はSさんのご紹介で素敵な方々とのご縁を結びつつあります。Sさん、いつもありがとうございます。あ、Sさんは男性なんです。男性も大いに活躍されてます、もちろん。
Sさんのことや、Sさんとの出会いのきっかけとなったアルバトロスクラブのことについては、また、機会を見て書きたいと思います。世の中、人とのつながりほど大きな財産はないのではないだろうか、と思う今日この頃です。一応、私のエイズ予防研究のテーマには「ソーシャル・キャピタル」や「パーソナルネットワーク」が関わっているのです。このお話もまたいつか。
って、「またいつか」がたまりそう・・・
一度決定しかけたパッケージの大幅な変更、現地で行う研修の打ち合わせとこまごまとした準備、シアバターやDooniDooni買い付けの手配、不在の間の様々なお仕事の手配などなど。現地とのやりとりも多くて、睡眠時間が超不規則です。
ちなみに今の季節、ブルキナファソでは普段でも長い挨拶がさらに長くなります。新年の挨拶はたっぷり2分以上かかります。本人やその人の家族メンバーに対して、健康でお金が入ってきて、輝かしい年となるようにと、ひとつひとつ数え上げるように祈るのです。言霊という言葉を思い出しながら、想いを込めて、相手に今年の幸せへの祈りを伝えています。
今回の渡航では、研修を実施していただく丸菱石鹸の社長さんだけではなく、所属研究室の元同僚(教育専門)や、関西学院大学社会起業学科GPの先生方も来られるので、そんな手配も実施中。すっかりブルキナ慣れしている私は、皆さんの「初アフリカ初ブルキナ」を実りあるものにするため、普段は忘れている初心を思い出しつつ、準備を進めています。
そんなア・ダンセの日常ですが、昨年12月から少しずつ新しい出会いがあり、ワクワクしています。環境ビジネスウィメンの方々を含め、そのほとんどが女性で、改めて日本の女性の活躍に感動してしまいます。私も日々の努力と成長を重ねてゆこう、と思いを新たにする毎日。
最近はSさんのご紹介で素敵な方々とのご縁を結びつつあります。Sさん、いつもありがとうございます。あ、Sさんは男性なんです。男性も大いに活躍されてます、もちろん。
Sさんのことや、Sさんとの出会いのきっかけとなったアルバトロスクラブのことについては、また、機会を見て書きたいと思います。世の中、人とのつながりほど大きな財産はないのではないだろうか、と思う今日この頃です。一応、私のエイズ予防研究のテーマには「ソーシャル・キャピタル」や「パーソナルネットワーク」が関わっているのです。このお話もまたいつか。
って、「またいつか」がたまりそう・・・
2010年1月3日日曜日
Meilleurs Voeux!
あけましておめでとうございます。
いよいよ2010年。みなさま、新年をいかがお過ごしでしょうか。
私の実家では、毎年、和歌山の熊野本宮大社で初詣です。
そして今年も 行ってまいりました。
例年よりも参拝の人が多い気がしましたが、いろいろ大変なときは、やはり、人の心は大いなる存在に心が近くなるのでしょうか。
毎年、大塔の道の駅を通り過ぎ、中辺路の道の駅あたりに来ると、その重なる山々に、いろいろと思うところがあります。
古き時代、人々が熊野の自然に対して強い崇拝の念を持ち、京都からも深い山々を超えて巡礼していたこと。現代はそこに道路が通り、車ですぐ近くまで行けること。昔、お世話になった先生から教わった日本の自然信仰と自然保全との関係。便利さと自然破壊との関係。
にんげんのこころとちから。 歴史と未来。自然とひとのしあわせの関係。
毎年、同じようなことを考えるのですが、すぐに山々の力強さに圧倒されます。もちろん、植林された部分も多そうですが、それでも山々の存在感は圧倒的です。熊野詣は私にとって、人間の生活と自然の関係を原点に立ち返って考えさせてくれる大切な行事となっています。
和歌山は山だけではなく、海も雄大です。沈み行く夕日はダイナミックで、自分が地球の一部なのだと再確認させてくれます。
そしてワタクシが、あまり人には教えたくないくらいお気に入りの場所。
「日本童謡の園」と、その同じ敷地内(?)にある「えびとかにの水族館」。
日本童謡の園から見る海が大好きなのです。
きれいに整備された遊歩道があり、数箇所、童謡が聞こえるようになっている石碑が建っています。
夕方、自動的に鳴る童謡を聴きながらひとりで歩くと、正直ちょっと怖いかも・・・
でも、「うみ」が流れると、思わず歌ってしまいます。
そして、スタッフさんの愛情がたっぷりと感じられる「えびとかにの水族館」。とてもちいさな、えびとかにの専門水族館です。実家ではここのサポーターになっていて、ここ数年は「かぶとがに」の水槽のサポーターです。毎年、ここにも初詣をします。その理由は・・・「蝦蟹神社」
はい。この水槽です。その年の干支に合わせたえび・かに・魚たちを集めた水槽がお目見えするのです。今年は初日の出ならぬ「はつヒトデ」で「めでタイガー」だそうです。水槽奥の初ヒトデ、見えますでしょうか?私たちが行ったときは、うつぼが大暴れ。つぎつぎと鳥居などをなぎ倒していました。あ、鳥居にはちゃんと「蝦蟹神社」って書いてあるんですよ~
そしてなんと今年はアザラシを裏手に発見!!!どんどん進化するえびとかにの水族館。ここ、入場料が「無料」なのです。一応、募金箱のような形で入り口に「チョッキン箱」が置いてありますが、水槽サポーターが主な維持費のようです。えびやかににたまらないものを覚える方はぜひぜひ、サポーターに!!!
(おまけ:田辺を中心としたわかやまのお食事どころ)
*Café Bonheur:http://bluebirdscom.petit.cc/
熊野本宮大社近くのカフェ。熊野牛のハンバーグもカレーもおいしかったです。入り口にはPeople's Treeのグッズや手作り石鹸が置いてあって・・・とても気持ちのいいカフェでした。
*朴 (BOKU):http://bocu.jp/
中辺路町近露で、築100年ほどの古民家を改装したカフェ。ご自分で育てたり、近辺で取れた農作物で作った玄米定食がおいしいかったです。天然酵母のパンは中辺路の道の駅でも購入できます。
*黒潮寿司(回転すし)
田辺のショッピングセンター隣にある回転すしの店。安くておいしいものが多い!たこやいか、まぐろ、えびなど、普通なネタがとてもおいしかったです。いかもたこも貝柱も「ぴかぴか」してました。
*てんぷらのよし平:http://www.yoshihei.jp/tenpura.html
地元で人気のよし平グループのてんぷら屋さん。入り口で食券を買うので、「なあんだ、カウンター式てんぷら定食屋さん?」 と思ったら大間違い。きちんと順番にコース形式でてんぷらを出してくれます。メニューはコースでもすべて1000円以下で、大体が660円から880円。おつけものまでおいしかったです。おいしいものを安く提供するための工夫、とても勉強になりました。
*八十八家 :http://www.yottette.jp/tenpo/tenpo.htm
いつも人で一杯の産直のお店「よってって」に併設されているバイキングレストラン。よってってで仕入れた食材を使用しているそうです。お昼の長蛇の列は覚悟!もちろん「よってって」もお勧めです。地元のお店の洋菓子やお寿司、パンなんかも買えます。
(番外編:あがら丼)http://www.tanabe-kanko.jp/umai/index.html
田辺観光協会員のお店では、田辺の食材を使った田辺らしい昼食「あがら丼」を楽しむことが出来ます。各お店がかつおや熊野牛、しらす、梅干などを使った丼を開発し、提供しています。4ヶ月から5ヶ月に1回程度メニューが変わるので、季節ごとのおいしい丼が食べれます!パンフレットは上記ウェブサイトからダウンロードできます。
いよいよ2010年。みなさま、新年をいかがお過ごしでしょうか。
私の実家では、毎年、和歌山の熊野本宮大社で初詣です。
そして今年も 行ってまいりました。
例年よりも参拝の人が多い気がしましたが、いろいろ大変なときは、やはり、人の心は大いなる存在に心が近くなるのでしょうか。
毎年、大塔の道の駅を通り過ぎ、中辺路の道の駅あたりに来ると、その重なる山々に、いろいろと思うところがあります。
古き時代、人々が熊野の自然に対して強い崇拝の念を持ち、京都からも深い山々を超えて巡礼していたこと。現代はそこに道路が通り、車ですぐ近くまで行けること。昔、お世話になった先生から教わった日本の自然信仰と自然保全との関係。便利さと自然破壊との関係。
にんげんのこころとちから。 歴史と未来。自然とひとのしあわせの関係。
毎年、同じようなことを考えるのですが、すぐに山々の力強さに圧倒されます。もちろん、植林された部分も多そうですが、それでも山々の存在感は圧倒的です。熊野詣は私にとって、人間の生活と自然の関係を原点に立ち返って考えさせてくれる大切な行事となっています。
和歌山は山だけではなく、海も雄大です。沈み行く夕日はダイナミックで、自分が地球の一部なのだと再確認させてくれます。
そしてワタクシが、あまり人には教えたくないくらいお気に入りの場所。
「日本童謡の園」と、その同じ敷地内(?)にある「えびとかにの水族館」。
日本童謡の園から見る海が大好きなのです。
きれいに整備された遊歩道があり、数箇所、童謡が聞こえるようになっている石碑が建っています。
夕方、自動的に鳴る童謡を聴きながらひとりで歩くと、正直ちょっと怖いかも・・・
でも、「うみ」が流れると、思わず歌ってしまいます。
そして、スタッフさんの愛情がたっぷりと感じられる「えびとかにの水族館」。とてもちいさな、えびとかにの専門水族館です。実家ではここのサポーターになっていて、ここ数年は「かぶとがに」の水槽のサポーターです。毎年、ここにも初詣をします。その理由は・・・「蝦蟹神社」
はい。この水槽です。その年の干支に合わせたえび・かに・魚たちを集めた水槽がお目見えするのです。今年は初日の出ならぬ「はつヒトデ」で「めでタイガー」だそうです。水槽奥の初ヒトデ、見えますでしょうか?私たちが行ったときは、うつぼが大暴れ。つぎつぎと鳥居などをなぎ倒していました。あ、鳥居にはちゃんと「蝦蟹神社」って書いてあるんですよ~
そしてなんと今年はアザラシを裏手に発見!!!どんどん進化するえびとかにの水族館。ここ、入場料が「無料」なのです。一応、募金箱のような形で入り口に「チョッキン箱」が置いてありますが、水槽サポーターが主な維持費のようです。えびやかににたまらないものを覚える方はぜひぜひ、サポーターに!!!
最後は、童謡の園にたくさんいるねこちゃん。
この日はめずらしく親子と出会い、あまりのかわいさに写真をとってしまいました。
それでは、2010年が皆様にとって素敵な1年となりますよう、お祈りいたしております。
ア・ダンセにとっても飛躍の1年になりますように!!!
今年もどうぞ宜しくお願いいたします。
(おまけ:田辺を中心としたわかやまのお食事どころ)
*Café Bonheur:http://bluebirdscom.petit.cc/
熊野本宮大社近くのカフェ。熊野牛のハンバーグもカレーもおいしかったです。入り口にはPeople's Treeのグッズや手作り石鹸が置いてあって・・・とても気持ちのいいカフェでした。
*朴 (BOKU):http://bocu.jp/
中辺路町近露で、築100年ほどの古民家を改装したカフェ。ご自分で育てたり、近辺で取れた農作物で作った玄米定食がおいしいかったです。天然酵母のパンは中辺路の道の駅でも購入できます。
*黒潮寿司(回転すし)
田辺のショッピングセンター隣にある回転すしの店。安くておいしいものが多い!たこやいか、まぐろ、えびなど、普通なネタがとてもおいしかったです。いかもたこも貝柱も「ぴかぴか」してました。
*てんぷらのよし平:http://www.yoshihei.jp/tenpura.html
地元で人気のよし平グループのてんぷら屋さん。入り口で食券を買うので、「なあんだ、カウンター式てんぷら定食屋さん?」 と思ったら大間違い。きちんと順番にコース形式でてんぷらを出してくれます。メニューはコースでもすべて1000円以下で、大体が660円から880円。おつけものまでおいしかったです。おいしいものを安く提供するための工夫、とても勉強になりました。
*八十八家 :http://www.yottette.jp/tenpo/tenpo.htm
いつも人で一杯の産直のお店「よってって」に併設されているバイキングレストラン。よってってで仕入れた食材を使用しているそうです。お昼の長蛇の列は覚悟!もちろん「よってって」もお勧めです。地元のお店の洋菓子やお寿司、パンなんかも買えます。
(番外編:あがら丼)http://www.tanabe-kanko.jp/umai/index.html
田辺観光協会員のお店では、田辺の食材を使った田辺らしい昼食「あがら丼」を楽しむことが出来ます。各お店がかつおや熊野牛、しらす、梅干などを使った丼を開発し、提供しています。4ヶ月から5ヶ月に1回程度メニューが変わるので、季節ごとのおいしい丼が食べれます!パンフレットは上記ウェブサイトからダウンロードできます。
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