2012年8月15日水曜日

甲南女子大学 多文化コミュニケーション学科の授業にお邪魔させていただきました。ついでにブルキナファソでの「読み書き」事情など。

先日、甲南女子大学 多文化コミュニケーション学科の授業でお話しさせていただきました。ブログに載せてくださったのでご報告です。

「多文化コミュニケーション学科の日誌」

とっても真剣に聴いてくださった学生さんたち、ブルキナファソの女性のあまりに低い識字率(読み書きできる人の割合)に関心を持って下さったのがきっかけとか。

ブルキナファソの識字率は15歳以上全国平均で29%、男性36.7%、女性21.6%。(UNESCO2007推計)

小学校への純就学率はだいぶ上がってきて58%。中等教育になると16%。(UNESCO2010年推計)

就学率が上がってきたとはいえ、卒業するのは半分以下(地方ではもっと低い印象があります)。都市部では低学年で100人以上のクラスもめずらしくなく、自分の教科書をめったに持っていないうえ(日本のように無料ではない)、留年があり、2回まで。厳しいです。

実はア・ダンセのシアバターを作ってくれている村落部の女性たちのほとんどが読み書きできません。石鹸を作ってもらっている施設(RAKIETAエイズ対策センター)に研修を受けにくる女性たちもほとんどが読み書きができません。

研修では読み書きができなくても、計算するのが苦手でも、温度計が読めなくても、きちんと国際的基準ベースの質の良い石鹸を作ることができるようになる研修を行っています。

最初は試行錯誤の連続でした。字が読めない=イラストマニュアルではなく、繰り返して身体で覚えることを重視する、道具を工夫する、フォローアップ を手厚くするなど、今もよりよい研修のための試行錯誤は続いています。「石鹸の品質基準」。これが守られていない石鹸があふれるこの国で、厳しい生活状況 の女性たちが自信を持って質の良い石鹸が作れるよう、少しずつ努力を重ねています。現地で女性たちは笑いながら「あなたたちの肌より私たちの肌の方がずっ と丈夫だから、気にしなくてもいい」と言います。でも、でも、でも。たかが石鹸、されど石鹸。思わず熱くなるので、このお話しはまた別の機会に・・・

もとい。

ブルキナファソでの「読み書き」。実はとても複雑です。

ブルキナファソの公用語はフランス語。公的な書類はもちろん、売られている商品もフランス語表記のものがほとんどです。

通常、公教育ではフランス語での授業です。(最近はフランス語とローカル言語による2か国語教育の学校も増えているようです)

でも、日常生活はハイソな地域のハイソな家庭でない限り、フランス語ではなくローカルな言語で行われます。これがまた複雑。

ブルキナファソ全体で広く話されているローカル言語はありません。

地域ごとに話される言葉は異なっています。首都付近ではモレ語。私たちが活動している西部ではジュラ語。北部ではフルフルデなど、少なくとも私 から見れば全く異なる言語が話されています。ブルキナ歴が相当長くなった私ですが、西部で市場のおばちゃんと会話できても、首都の言葉はほとんどわかりま せん。北部や東部では外国に来たようです。幸いなことに、ほとんどのブルキナファソの人は複数の言語を話すことができます。国内移住者も多いです。なの で、相手の言葉がわからなくても、すぐ別の人が通訳してくれます(大きな町の市場だったりすると、よく厄介なことになりますが・・・)

ブルキナは全部で60以上の民族から成り立っていて、それぞれの民族の言葉が存在しますが、地域ごとに広く話される言語はその地域の主要な人々の言 葉(または通商言葉)です。つまり、必ずしも自分の言葉=地域で話されている言葉、ではないのです。家で話す言語と、近所で話す言語と、学校で習う言語が異なるということも 少なくありません。西部は特に小さな民族グル―プや国内移住者が多いようで、それが顕著です。

たとえば・・・
家で話す言葉は「グァン語 Goin」
地域で話す言葉は「ジュラ語 Dioula」
学校で使う言葉は「フランス語」
といった具合。

ちなみに、ブルキナの言葉のほとんどに文字はありません。そして村落部などの女性識字教育は私の知る限り、ローカル主要言語で行われます。文字のな い言語の読み書き、それは発音記号となります。発音記号って、日本で教育を受けた人だと、なんとなく読める人も少なくないと思います。なんといってもロー マ字の読み方と似ています。ところが、ブルキナファソで非正規の識字教育を受けたことが無く、公教育のみの人の場合、小・中学校卒業レベルでは、フランス 語と表記が全く異なっているからか、ほとんど読めません。逆に、識字教育を受けたからといって、フランス語ができるようにはなりません。

(ブルキナファソ西部で話されるジュラ語Dioula1年生用の計算クラスの教科書だそうです。この教科書、私は初めて見ました。) 

【引用元】http://fr.flossmanuals.net/scribus/_all

(ちなみに、ジュラ語ではお金の数え方が5分の1になります。アフリカでは多いようですね。100フランは20と数えます。計算が苦手な私は、市場でややこしい買い物をすると暗算してジュラ語に置き換えることができなくて、四苦八苦しています、笑)


読み書きすることがないブルキナの人たちの記憶力は抜群です。電話番号をほとんど覚えているのには、感動さえします。

また、日常では説明がくどいなど、日本人的にちょっと・・・という場面もありますが、口伝えの文化では当然なのかもしれません。伝統的な知識はすべて口伝えなので、伝統医薬専門家のダクヨ博士は、伝統医薬の近代化をめざし、その知識の集積を図るため、荒野を走り回って伝統医薬施術者にインタビューをし続けたとか。

HIV/エ イズ啓発の世界でも、アフリカでは劇や音楽、ディスカッションなどを取り入れるのが基本。国際エイズ会議では近年になってやっとそういった活動の重要性が 認められ、独立したセッションになったようですが、欧米などの専門家の中にはぴんと来ない人たちも多かったとか。アフリカに長期間住んでみると、だいぶ視 点が変わります。

様々な場面で口承が基本的な背景として重要である一方、読み書きが必要になってきた現実があります。

フランス語が必要な一例としては、世界中で作られたものがブルキナの村落まで入り込んでいるということ。化学薬品もそのひとつ。

村落部であっても、農薬や化学肥料、薬、たくさんのものに日常的に接します。説明書が読めなかったり、健康リスクがぴんと来なかったりすると、適切に使えなくて健康被害にあったりします。

また、書けない=記録が残せないということは、外の世界とお付き合いするような組織を作って運営する上で、ちょっと問題になってきます。お金のやりとりが入ってくると、記録はもう必須です。

以前に活動していたネパールでは、人身売買の被害に遭った山岳部の女の子が、「カトマンズに連れて行ってやる」と言われてボンベイまで連れてこられたけれど、村から出たことがない上に字が読めないために、しばらく気付かなかったと聞きました。

メモもできないので、すべて頭で覚えておかないといけないなんて、今の私には絶対無理です。一つ便利なもの(文字)を手に入れると、それを使いこなす能力を得ることができるのかもしれませんが、その分の能力(記憶力)が落ちるのかもしれません。だから、日本に比べて不便なブルキナでは、私はできることが極端に少なくなって、助けてもらう場面が増えます。日本とブルキナを行き来していると、便利と不便と時間とストレスについてとか、障害ってなんだろうとか、いろいろ考えが広がり止まらなくなります。というわけで、今日はここまで。

「識字率が低い」ということの現実を少しだけご紹介しました。ちょっとだけ想像してみていただけると幸いです。

甲南女子大学 多文化コミュニケーション学科のみなさん、これからもどうぞよろしくお願いいたします♪

(こ の記事を書くためにUNICEFのサイトを調べていて愕然としました・・・5歳未満の子供の死亡率が世界で3番目に高い国になっていたのです。他の国々の 死亡率が減ったからのようですが・・・今年はサヘル地域の食糧不足が深刻で、そのもっとも大きなしわ寄せは絶対的に弱い存在である幼い子どもにきます。今度村々 に行ったら、よくよく話を聞かなければ・・・)

0 件のコメント:

コメントを投稿