2013年11月24日日曜日

DAKUYO博士が2013年アショカフェローに選出されました!

ア・ダンセの現地生産責任者(ソープを作ってもらっている研修センターの生産責任者&アドバイザー)であり、協力隊時代初期から(2003年から!)お世話になっているDAKUYO博士が、アショカ財団の2013年度のアショカフェローに選出されました!ぱちぱちぱち \(^o^)/






アショカフェローとは・・

アショカ・フェローは、世界をリードするソーシャル・アントレプレナーです。
アショカ・フェローは、機能していない社会システ ムに対し、これまで存在しなかった斬新な解決法を提案するのみでなく、そのアイデアを現実に立ち上げ、アイデアが実際に効果を生むまで粘り強く取り組む ソーシャル・アントレプレナーです。フェローたちは自分ひとりで走るのではなく、周りの人たちと恊働する能力や、既存の体制にとらわれない自由な発想を 持っており、何よりひとりの人間としてエンパシー(他人の気持ちを理解する共感力)に富んだ人たちです。現在アショカ・フェローは80カ国以上の国々であ らゆる社会問題の解決に取り組んでいます。(アショカ・ジャパンのウェブサイトより)

ということで、 DAKUYO先生もいよいよインターナショナルになってきました♪

DAKUYO先生のアショカ・フェローのページはココ

今、先生とバンフォラでいろいろ計画中。こちらにも拍車がかかりそうです。

DAKUYO先生、アショカで日本に来れるといいのになぁ・・・
以前から、いろいろ機会をうかがっているのですが・・・
東アジアの伝統医薬とか食とかに、とても関心があるそうなのです・・・

ちょっと聞いてみましょうね。

ところで、DAKUYO先生ってブルキナでは都市部で知らない人はいないかも、というくらい現地では有名な人。そして、ブルキナファソでJICA関係等でバンフォラ市まで足を延ばした人が、必ず訪問するくらいユニークな活動をされていて、様々なプロジェクトとも協力関係にあります。特に森林関係が多いのですが、森を大切に考える先生は、環境省とも関係が深く、毎年インターンを受け入れているほか、今も彼の会社には環境省の職員が出向し、原料を生産し収穫する農民に対して指導を行っています。

 ダカール大学で薬学博士を取得後、ブルキナファソにおいて伝統医薬を現代化したパイオニアです。今は、バンフォラ市でコモエ薬局(Pharmacie de la Comoe)を営む一方で、伝統医薬の製薬会社フィトフラ研究所(Laboratoires Phytofla)を経営しています。

先生の発売する伝統医薬は60種類以上になり、私は特におなかを壊したときにお世話になるカプセル状のAmebiflaが手放せません。西洋の薬とは比べ物にならないくらいよく効きます。他にも、元気になるお茶や肝臓によいお茶、マラリアに効く煎じ薬などなど。現地の人たちは、簡単なマラリアなら、DAKUYO先生の薬で済ますことも多いです。普通の西洋の薬に比べてとっても安いにも関わらず、本当によく効くのです。(私はマラリアになったことがないので、友人たち曰くです。)

(抗マラリア薬については、共著とはいえ、効果について論文も出ています。)

現在、DAKUYO先生の伝統医薬はブルキナファソ中の薬局で買うことができます。一部は公的な病院でも処方されます。近隣諸国でも販売していて、コートジボワールとトーゴだかベナンだかでも保健省で認められて、販売されています。

私は2003年から青年海外協力隊としてバンフォラ市役所に派遣されていた際、職務内容から保健所の衛生局で仕事をしていたのですが、そのときの同僚の看護師に紹介してもらいました。 

DAKUYO先生の軌跡、詳しく書くと長くなるので、だいぶ端折りますが・・・

1978年に「すべての人に健康を」というアルマ・アタ宣言が採択されて、保健政策でプライマリーヘルスケアに重点が置かれるようになります。

 ところが途上国ではなかなかうまくいかず、医療へのアクセスが改善されませんでした。そんな中、安価で身近な伝統医薬に注目が集まります。DAKUYO先生はその頃、保健省の「伝統医薬部」のようなところに入省、伝統医薬を現代化するための奔走が始まります。

アフリカはほとんど文字がありません。なので、伝統医薬、と一口に言っても、一部の伝統的な施療者等が口伝えで知識を継承しています。中国や日本が文書で知識を蓄積し、普及してきたのとは大きな差です。そこで、その知識を集めて現代に通じるものとするために、まず、点在する村に存在する伝統的施療者を訪ね聞き取りをして歩きました。

そして、彼らを一か所に集め、会議のようなものも開催しました。興味深いですね!!!

こうして、保健省でDAKUYO先生によって、効果が認められたいくつかの薬草を使って咳止め薬や強壮剤、抗マラリア薬などが開発され、用いられるようになりました。

しかし、よくあることですが、国際的な文脈の中で保健政策の流れはすぐに別の主題に移り、伝統医薬への注目はどんどん薄れていってしまいました。 先生はその状況に失望し、保健省を辞して、自分で会社を作ることにしました。それがPhytofla研究所です。

先生は製造過程を現代的にするための機械類も、ほぼ自分で設計図をひき、現地の溶接工に注文して作ってもらっていました。アイデアマンでもあります。最近は製造量が急激に増加しているので、中国から機械を輸入していますが、先生のアイデアは尽きることがありません。

娘さんがダカール大で薬学博士を取得して帰国、息子さんはマーケティングで修士を取得して家業を手伝っています。すでに工場の増設も決まっており、世界的なナチュラル志向ブームと相まって、これからまだまだ伸びそうです!

DAKUYO先生、本当におめでとう ございました!



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