2010年11月3日水曜日

心よりご冥福をお祈りします。

なんだか、再開してすぐのブログで悲しいニュースなのですが・・・


最近、友人のお父様がお亡くなりになりました。私も父を数年前に亡くしたので、心が痛くなるほど、共感してしまいます。

そして、今年は私にとってとても大切な存在であったブルキナファソのおじいちゃんが二人、亡くなりました。


ひとりは、私の起業までを支え続けてくれたおじいちゃん。8月に亡くなりました。ちょうど亡くなる1-2週間前にご挨拶しにいったとき、大分体調が悪そうだったので心配していたのですが・・・私の帰国日直前のことで、お葬式に参列できなかったので、今回の渡航でご家族を訪問してきました。いつも「わたしの娘よ・・・」と呼びかけてくれる、やさしいおじいちゃんでした。

もうひとり、私が敬愛してやまない、そして、とても可愛がっていただいた伝統音楽の大御所でバラフォン奏者、マハマ・コナテさんです。愛称はママ。10月5日に亡くなりました。なんだか、不思議なご縁を感じる出会いをしたこともあり、私にとって、とてもとても特別な方でした。

ママ・コナテはFarafina(Farafina Lili)という伝統音楽 グループを創設した方で、このグループは坂本龍一さんやジョン・ハッセル、ローリングストーンズなどのアルバムにも参加した伝説的存在となっています。来日公演もありました。今でもCDを買うことができますが、彼がかかわったグループのCD(日本で入手できる可能性のあるもの)はBolomakoteとMiriyaのみ。他のものは、同じ名前の別グループとなります。ママがとってもこだわっていたので、念のため。これについては色々なストーリーがあるのですが、また、機会があれば・・・

mamaのグループ、Farafina Liliの演奏ビデオ 1
mamaのグループ、Farfina Liliの演奏ビデオ 2

向かって右のバラフォンを演奏しているのが、ママです。

私が出会ったときには既に引退されていましたが、彼の演奏は、町のどこにいても、彼が演奏していることがわかるくらいだったとか。左手がとても強かったのだそうです。でも彼が一番すごいのは、「伝統は新しく作り続けるものである」と、Farafina音楽学校を作り、多くの若者たちを育て、自らも伝統的なスタイルを守りつつ創作・演奏活動を行っていたこと。ア・ダンセの石鹸を作ってもらっているセンターの開所式の際、日本大使も来られるということで、思い切ってFarafina Liliを招聘しました。

そして、ママにも来て貰えるかどうかを打診。すると、持病のため、あまり遠くには出かけないと聞いていたのですが、なんと返事はOUI!90km離れたバンフォラ市まで来てくださったのでした。ずっと、にこにこと見守って下さっていて、とってもうれしかったのです。それはそれは特別な機会となりました。

10月5日、亡くなった日、どうも近所のミュージシャンもどきくんたちが、ファラフィナの曲を演奏しているなぁ、と思っていたのです。これは、ママのための演奏だったのですね。


ローカルTVを見ることができない環境にいた私は、しばらくママが亡くなったことを知らなくて、亡くなった翌日のニュースを見た友人がその翌日、つまり7日の夕方に「今日、埋葬だよ」と教えてくれました。既に夕方だったので、その日は行けず、8日の朝一番に向かいました。

終わっていたはずの埋葬ですが、なんと、到着したのは埋葬式の真っ最中。まるでママが待っていてくれたみたいでした。こちらでは、偉大な人はお庭に埋葬され、おうちよりも立派なお墓が建てられることがあります。ママもそのようです。祭壇はキリスト教式。私が少し驚いていると、一緒に行った友人が「ママくらいに偉大なミュージシャンは、宗教を飛び越えた存在で、何教でもいいんじゃないだろうか」と言われ、なんとなく納得しました。

まず、ご家族にご挨拶をしたのですが、ママのことを話しはじめた途端号泣してしまい、周りのグリオ(伝統的に祭祀の際などに歌や踊りを披露するグループ)のおばちゃんたちに「ママはちょっとアメリカに行ってるだけだよ」などと、歌でなぐさめ(?)られ、 家の前で繰り広げられている音楽を聴きつつ、席に座りました。あちらこちらで知っている人たちと出会い、挨拶をかわします。よく見ていると亡くなって数日たつにもかかわらず、テレビ局が取材しています。また、外国のテレビ局も来ていた様子です。グリオたちもママをたたえる歌を歌い続けています。

ママが亡くなってからというもの、ずっと音楽を演奏し続けているようで、音楽が鳴り止むことはありません。また、お酒が大好きだったママのお葬式。もちろん、ドロまたはチャパロと呼ばれる地酒も振舞われています。音楽は、各民族のグループが交代でまたはミックスして演奏しているようでした。ブルキナの多くの伝統音楽ミュージシャンが集まっていました。

今年2月にママの偉業を称える大きなイベントが開催されたときも、大勢のお客さんが来るにもかかわらず、ずっと私を隣に座らせてくれ、色々とお話してくれたのですが、そのとき繰り返して言われたのが「踊らないの?」。ママを称えるイベントには音楽がつきもの。もちろん、バラフォンと太鼓が鳴り響き、がんがん踊っています。でも、どうもプロの踊り手さんたちだったので、私は見て楽しんでいたので、その旨を伝えました。

その「踊らないの?」「踊ってきたら?」という言葉が忘れられなくて。やっぱり、生粋のアフリカン・ミュージシャンですよね。お葬式では、その言葉を思い出し、2,3曲、みんなと一緒に踊ってきました。ママのことを想いながら・・・

その夜、ママのために普段はほとんど飲まないギネスビールの小瓶を注文して、ママに捧げました。ママが大好きでいつも飲んでいたのです。

ママ。たくさんの贈り物をありがとう。ギネス、たまに飲むようにします。そのときは、一緒に愉しんでください。ブルキナファソでは伝統音楽でたくさん踊ります。そのときは、音楽と一緒にそばにいて愉しんでください。(これって私のわがまま?)

ママの家の前で踊る人たち
ママにもらった有形無形の大切な大切なものたち。いろんな人たちに伝えたいと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿